Tokyo Culture

女流落語、末広亭へ。

たまたま、落語である。

たまたま、最近女性の落語家に出会った。林家きく姫さん。林家木久扇の一番弟子で、お正月には鎌倉へ友だちとランチに行き、サーファーでもない彼女とポイントを見てサーフショップに行ったり。その時の様子はこちらのブログに。

で、たまたま先日も朝早く目が覚めて、テレビをつけたらNHKの番組「目撃!にっぽん」で女流落語家を紹介していた。林家つる子さん。同じ林家なので同門かと思ったら彼女は林家正蔵のお弟子さん。そのつる子さんが人情噺の「芝浜」を女性視点で演じてみる様子を描いていた。

このことをきく姫さんに聞いてみたら、翌日に新宿の末広亭でレディスデーがあって、きく姫さんもつる子さんも出演すると言うのでさっそく出かけてみた。久しぶりの落語の高座。オミクロンの大流行にも関わらず、結構な入りであるのにびっくり。このようなご時世ににもかかわらず寄席に出かけるのだから、ファン、常連さんなのだろう。昼から寄席に来て笑っているなんて、お年寄りの楽しみかと思っていたら、さにあらず。若い世代のお客様も多くて、これも意外だった。

で、この日のネタは。。。それは実際に寄席に出かけてみてのお楽しみ、としておこう。

利他論と落語。

なぜ、急に落語に関心が湧いたかと言うと、お正月に呼んだ本「思いがけず利他」(中島岳志著)の第1章から「文七元結」という落語のネタを用いて利他論を書いていたのが面白くて、記憶に残っていた。五十両を巡る人情噺で、真打ちが演じる名作落語のひとつだという。中島さんが言うのは、五十両を使い込んでしまう業と返さなくてはならない五十両をあげてしまう業。それを利他という関係性で読み解いているのだが、立川談志もこの噺は人情噺ではなく、最後の博打だったんだという解釈を紹介している。

この日、きく姫さんの後に出てきた、林家ぼたんさんの演目も、夢の中のできごとを描いていて、最後のオチが「冷(ひや)にしておけばよかった」というのもよかった。つる子さんの「芝浜」と同じように、女性目線での解釈で演じたものなのか、私はまだまだ寄席の常連でもないので分からなかったが、落語は言葉だけでストーリーを演じ、客を引きつけ、人情で泣かせるのも言葉だけ。いや、もう一度、落語を聞いていようかと本気で思う。

そう言えば、サーフィンをしている同世代の人たちが、波のない日は寅さんを観ているという話題で楽しそうだった。私は寅さんもほとんど見ていない。というか、1本ちゃんと見たこともないのかも。昨年。柴又帝釈天に初めて行ったら、その建築の凄さに感心した。実際に足を運んで自分の目で見てみないと分からない。巣鴨もそうだった。それともいい歳のせいだろうか。親父が生前カセットテープで落語をよく聴いていたのを思い出した。

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