東京に暮らして40年になります。
群馬県の田舎で農家の次男坊として生まれ育った私にとって、東京は行くべき都市だと小さい頃から教えられていました。高校を卒業した次の日、村の先輩のクルマに布団を積んで上京しました。1年間だけ浪人させてくれと親に頼み、大隈講堂の隣りにある早稲田ゼミナールへ直行。そこで浪人下宿を紹介してもらい、すぐに下宿暮らしを始めました。1年間田舎に帰ることもせず受験勉強だけをして、何とか法学部に入学。しかし、法律なんて自分には向いてないとすぐに悟り、以来4年間軟派のサークル活動で過ごしました。
今思えば、あの頃の経験が生きているのかもしれないような気もするし、金融マンや弁護士になった同級生は多いけど、やっぱり私には今のスタイルの方が向いていたなと思います。
時代の流れと同時に、東京の街も大きく変わってきました。景気の影響によって、その姿はみるみる変わってきました。そして気候変動による大規模災害や東日本大震災。東京に暮らしながら田舎のことを考える。東京の大消費地に暮らしながら地方の生産者を応援する。そんなことも考え、微力ながら様々な活動をしてきました。しかし、自然の猛威の前に自分一人の無力さも痛感させられ、もう一度東京から毎日の暮らしをシェアし、消費することで、僅かでも経済活動に繋がればと、毎日を過ごしていこうと思います。
それは、長年お世話になった東京の街をもう一度見直してみることで、自分が歩んできた人生の足跡も見えるのかな、そんなこと言うと、ホント、歳とったなと感じてしまいますが、東京の日々をもう一度記してみようと思います。

宮崎広告事務所
代表 宮崎秀雄

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