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ジェリー・ロペスの映画「陰と陽」を観て。

ようやく観ることができた。ジェリー・ロペスの映画「陰と陽」。

先日、YouTubeのパタゴニアフィルムチャンネルで公開された。

8月の下旬に渋谷のパタゴニアで上映会があったけど、イベント中だったので参加できず、ジェリー・ロペスのトークショーのMCを務めたジョージ映画の内容やロペスのことを話しで聞くだけだったので、早く観たかった。

ごめんね!とオープニングから笑わせてくれるのはともかく、1970年代に生まれたライトニング・ボルトの顛末が詳しく描かれていて、へぇ〜の連続。思い返せば、私がライトニング・ボルトに憧れて、1978年、大学生の時に辻堂にあるサーフショップ「マーボ」で中古のボードを買った。その時の写真がこれ。

辻堂の海岸で。

学生時代はクルマもなく、そう何度も海には行けなかったけど、本鵠沼にある親戚の家にボードを置かせてもらっていた記憶もある。もちろんナンパのシティサーファーだったから夏しか行かないし、ちゃんと波には乗れなかった。アメフトをやっていた友だちがクルマを持っていたので、一緒に行こうと言うので辻堂に行って、そいつは運動神経が抜群だったので、すぐに乗れたけど、そのままビーチまで乗り上げて、フィンをボキッとボックスごと壊してしまった。マーボーに持ち込んでリペア(ボックスごと固定してしまった)したけど、その程度の記憶しかない。

それと、なぜサーフィンを始めたかと言うと、女の子にモテるから、モテそうだったから、好きな子がサーファールックだったから、というのが本音で、それもなかなかうまくは行かなかった。一度夏休みにその女の子が下田のプリンスに行くと言うので、クルマを持っている別の友だちを誘って、下田まで追いかけて行ったのがこの写真。別に何もなかったけど。

左は別の友だちの彼女で真ん中の子が好きだった。

あの頃はボルトを着ているとかっこいい、モテるみたいな気がして、スキーに行ってもボルトのバックプリントのTシャツを着て滑っていた。スキーは転ぶことはないくらいの自信はあったので、下はジーンズで上はトレーナーの上にTシャツを着ていた。もちろん寒いけど。

志賀高原スキー場で

サーフィンよりもスケボーの方がよく遊んでいた。NHK裏の代々木公園に毎日通い、日曜日は歩行者天国になるので誰かがパイロンを置くので、そこをスラロームで滑っていた。ジーンズはボロボロ、肘と膝は生傷が絶えず、いつも怪我をしていた。それとフリスビーにテニス。テニスはサークルを仲間と作ってマジメに遊んでいた。夏は菅平でテニス合宿をして、冬は志賀高原でスキー合宿。どちらもバスツアーを組んで、なぜか一度江ノ島バスでスキーに行ったことがあった。そんな遊びの教科書がその頃創刊されたポパイだ。

これは復刻版

最新号のサーファーズジャーナルでもジェリー・ロペスの特集が紹介されていて、謎のGランドのことやシェイパーの上田さんのことが詳しく紹介されているので、こちらも必読。

辻堂マーボーの小室さんがつい最近亡くなられた。初めて中古のボードをマーボーで買った時、フィンを壊してしまってリペアしてもらった時、小室さんには何度かお会いしているはず。サーフィンを教えてもらったことはなかったけど。それが1978年ころのこと。そして今お世話になっているサーフィンの師匠、河野さんはちょうどその頃サーフショップ・シーガルをオープンさせ、今でも六浦で営業している。不思議な縁というか、変わらない自分がなぜかこんなつながりの中で生きていることがすごく不思議で嬉しいことだ。

「ジェリー・ロペスの陰と陽」はこちらから。

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