国民の判断で決めるべきだと思うが、安倍さん。

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ジョン・ダワー氏の考え。
「敗北を抱きしめて」でピューリッツァー賞を受賞した歴史家、ジョン・ダワー氏のインタビュー記事を読んで、海外の人からここまで日本の反戦争の精神を評価されていることに少々驚いた。なぜ日本の歴史家からこのような声がないのか?(あるのかもしれないが)と。
氏の言う日本の精神とは、日本国憲法の草案は確かにアメリカが作ったものだが、現在までその憲法を変えなかったのは、日本国民が反軍事の理念を尊重したからであり、アメリカの意向ではなかった。
そんな土壌は、戦後の苦しみの中から生まれたものであり、「平和と民主主義」という言葉こそ、敗戦で困窮し、疲れ果てた日本国民にとってはとても大きな意味があったと言う。
その象徴こそが憲法9条であり、戦争をしないという決意こそ、世界の中でどんな国とも違う貴重な国としてのポジションを築いている。
経済成長に伴う公害への反対運動、沖縄の返還運動、ベトナム戦争反対など、いずれも市民運動から沸き起こった国民の声と憲法9条により、ベトナムへもイラクやアフガンにも派兵せず(実戦参加せず)、我々日本国国民は70年に渡って平和と民主主義を守り続けてきている。国民の声が守り続けている。
そのことこそ誇りを持つべきだと言われ、今、若い世代の日本人たちが行動を起こしている姿を見て、彼らにもそんな日本人の精神が惹き繋がれているのだと実感する。

日本国憲法と日米安全保障は表裏一体。
日本国憲法と日米安全保障は表裏の関係で、戦後、武装解除された日本国の治安維持のために、アメリカ軍が日本の防衛のために存在してきた。平和憲法の裏には米軍が控えていた。そして自衛権を守るために憲法で禁止された軍隊ではなく、自衛隊を徐々に育ててきた。それが現在の日本だ。矛盾であり、欺瞞なのかもしれないが、それが現実であり、それに対する対案が今回の安倍さんの安保法制なのだ。
対案を出さない野党や反対派はダメだという議論もあるが、実は戦後70年のありかたへの対案が今回の法制であり、今までの日本でいいのだというのが反対派の立つ根拠だ。

外交こそ政治の仕事。
では、現在の世界情勢、特に東アジアの緊張関係からどう日本を守るのか?ということになる。いつ攻められるか分からない状況から日本を守るためには、従来の個別的自衛権だけではことたらず、集団的自衛権への拡大解釈となるが、戦後70年の間にも実は世界の何処かでつねに戦争は起こっていた。でも、日本は戦争には参加しなかった。もう少し正確に言えば、戦後70年という捉え方は日本だけなのかもしれない。戦争を放棄したから、それ以来70年間は戦争に組みしていない。一方、世界では、ベトナムもパレスチナも、中東やイスラムISなど、強硬なナショナリズムや人種問題はなくならず、ますます過激になっている。特に世界最大の軍事力を誇るアメリカに対する過激派の行動は後を絶たない。
中国も今では経済も軍事もアメリカに次ぐ大国になり、北朝鮮の暴発のリスクも高まり、東アジアの緊張感を否応なしに高まっている。だから、それだけの理由で憲法解釈を変えてまで、急いで、集団的自衛権を認める必要性があるのだろうか?いや、国民には知らせることのできない緊急的な危機がそこにあるとでも言いたそうな雰囲気もある。新国立競技場も実はこの1ヶ月間白紙に戻すことを検討していたと前言を翻したくらいだから、外交的な事情もあるのだろう。でも、それこそ国民に知らせるべきことではないだろうか。あたかも緊急的な危機がありそうな雰囲気だけ醸してだとしたら、許されることではない。
それよりも、いまだに日中、日韓首脳会談さえ行われていない外光の怠慢はどう説明をするのだろうか。まずは相互理解だろう。話し合いだろう。日本だって中国と険悪になれば困ることがたくさんある。にも関わらず、なぜ関係改善の努力をしないのか、している風には見えないのか、それこそ政治の仕事だと思うのだが。
一方で、この緊急時に何もしない、軍事的対抗措置を講じないのは、平和ボケもいいところだという論もある。平和ボケは悪いことなのか?平和を願うからこそ平和ボケなのだというのでは、どうも説得力がないのだが。

自衛隊のみなさん。
御巣鷹山でも阪神淡路でも東日本でも、御嶽山でも、我々国民はいつも何かあった時に自衛隊のみなさんにとても助けられている。このことは、ここ数年の間のできごとで多くの国民が実感していることだと思う。
彼らをこちら側から戦争に行かせるのか?と考えてみて欲しい。徴兵制は反対だと言うけど、本来の国民主権という考え方で言えば、我々国民が自ら戦わなければならないのは自明の理だ。戦争に身を突っ込むということは、自ら戦うのは嫌だということでは済まされない。自国を守るためではなく、アメリカに追随して他国の戦争に加担すれば、戦力は当然必要になる。今までは戦争をしない国という前提で自衛官になっている彼らを、そのまま戦争に行けとは言えないだろう。集団的自衛権を認めることは、徴兵制にはならないと政府は言うが、賛成するからにはそのくらいの覚悟は国民にも必要ではないだろうか。

ボーイングに乗る。
地方へいく時には、どうしてもJALではなくANAに乗る。それも今から30年前の今日だった、日航機の悲惨な事故があったことで、私は個人的にANAを選ぶようにしている。そのANAも今ではほとんどの機体がボーイング社のものだ。最新の787型機は日本の素材メーカーも参加して、日米合同の機体で燃費もいいと言う。しかし、広島、長崎に原爆を透過したB29もボーイング社による機体だということはなかなか想像しにくい。Bという機体番号があの頃からずっと続いていて、今では787番目ということだ。(正しくは、B29のBは爆撃機=BomberのBで、787のBはBoing社のB)テニアン諸島から飛来したB29は、まさしくいつも乗るANAの機体を作っているボーイング社が作っているということを。

昨日、安部首相が戦後70年談話を発表した。言葉の重さが問われている。政治家に歴史は変えられない。にも関わらず、安部首相は何を変えたがっているのか?歴史に名を残したいのか?今まで蓄積してきた歴史や事実は変えなくても、未来へのヴィジョンは語れるはずだ。結局は曖昧な内容になっていて、明晰さがない。言葉の数だけ多くて、明確な内容に欠けている。

お盆休みを前に、戦後70年、安保法制のことなどを、もう少し考えてみたいが、いずれにせよ、これだけ若い世代も含め、国民の多くが関心を持ち、抗議活動や反対のデモを行っている現象はここ数年の間ではとても珍しいことである。原発の再稼働も同様だ。にも関わらず、このまま強引に憲法解釈を変えてまで集団的自衛権の行使を容認してしまうのは、ちょっと待った方がいい。現実的なリスクや危機も国民に知らせるべきで、本当に集団的自衛権の行使が必要であれば、憲法改正の手続きをしてからにすべきだ。それも国民が判断すべきことではないだろうか。この国の未来にとって、とても重要なことなのだから、首相の考えだけで判断すべきではないということだけははっきりと言いたい。

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