広島のマツダ本社へ。
四半世紀の時間が過ぎた。
1989年にピュアなスポーツカーがデビューした。マツダがリリースした本格的な2シーターのオープンカー「ユーノス・ロードスター」。
その時に自動車写真家の小川義文さんにお願いしてクルマの撮影を一緒にするようになった。小川さんのクルマの写真は都会や大自然の中でイキイキとした表情を放っているのが好きだったからだ。カタログ写真は1枚も使用しない、今思えばちょっと贅沢な大判のPR誌の編集が仕事だった。
しかし、その時のマツダの戦略は日産に追い付けという大号令のもの、販売チャネルを2チャンネルからいきなり5チャンネルへと拡大した。マツダくらいのメーカーがいきなりそんなたくさんのクルマを作ることができるはずもない。なので、ユーノスではフランスからシトローエンを輸入販売し、オートザムというチャンネルではイタリアからランチャを輸入販売し始めた。窓が開かない、空いた窓が閉まらない、そんな声をよく聴いた。
もっとひどいのは同じシャーシのクルマのエンブレムだけ変えて別のクルマと称して販売していた。大手銀行手動のこんなやり方は通じるはずもないという予想は見事に当たり、5チャンネル体制はあっという間に崩壊した。
さらに、ブラック・マンデー、バブルの崩壊、ポスト冷戦、グローバル化、空洞化、為替の変動など時代の激しい波に飲み込まれ、自動車メーカーも苦難の時代を迎えていた。
以来四半世紀という時を経て、ここ数年で彼らが発信し始めた「MAZDA Design」は本当によくなってきた。モノの持つチカラやモノ作りの背景にある想いを感じられる領域に達している。しかも高圧縮エンジンの「Sky Active」もとても評判がいいようだ。エンジン開発はロータリースピリッツを失っていないのか、いいエンジンを開発してくるのはさすがにマツダだ。
あのメルセデスにとか、クラウンにとか、そんなモノマネではないオリジンのクルマづくりがようやくここに来て花開き始めた。
クルマの美しさで勝負できる今こそ、CG依存ではなく、もう一度自然光の光と影の中できれいな写真を撮る、そんなクリエイションをしたいと感じたマツダ訪問だった。
また乗ろうかな、ロードスターに。