スーパーオーディオマニアとのひと時。
8年前に亡くなった兄は大のオーディオマニアだった。
田舎なので近所のことを気にすることなく、大きなサウンドで音楽を聴けるので、大人が一人入れるくらいの大きなスピーカーをステレオで2つ並べて、音楽を聴いていた。
特にクラシックファンとかではなく、どちらかと言うとメカ好き。真空管のアンプなんかも自作し、コンデンサで作ったボックスでパワーアップしたりするのが好きだった。
高校生の頃はプレーヤーに小さなスピーカーを内蔵している、ポータブルタイプのプレイヤーを買って来て、かぐや姫や天地真理なんかの歌謡曲や、ポール・モーリア・オーケストラのイージーリスニングなんかを聴いていた。
私はラジオの深夜放送と毎週土曜日の午後、FEN(米軍の極東放送:810MHz)でオンエアされていたアメリカントップ40を聴くために、ナショナルのポータブルラジオ「ワールドボーイGXO」をお年玉をはたいて買い、いつもノイズだらけのラジオを聴いていた。
高校卒業と同時に上京して、一人でアパート暮らしを始め、アルバイトをして最初に買ったのがコンポーネントステレオだった。プレイヤー、アンプ、チューナーそして二つのスピーカー。なんとかアパートでレコードを聴くことのできる最低限のシステムを手に入れ、少しでも安い輸入盤を買うために、渋谷のシスコやディスクユニオンに行って英語だけのLPを買っていた。
それが1970年台半ば。すでにビートルズは解散し、ポール・マッカトニーやジョージが好きだった。
ヒット曲の情報は相変わらずFENだった。アメリカントップ40も聴き、ウルフマン・ジャックの番組を聴いていた。部屋にテレビはなく、ラジオとレコードがあれば幸せだった。
パイオニア、トリオ、ダイアトーン、山水などの民生用のシステムでも高級機にはなかなか手を出せないし、そもそも大きなサウンドを聴くことのできる環境がなかった。深夜にヘッドフォンを付けて大きな音で聴いていたら、スピーカーからも大音響が出ていて、別の部屋の住民から怒鳴りこまれたこともあった。
以来、ステレオは毎日の生活に欠かせない家電製品だった。JBLのスピーカーや真空管のアンプのことも知ってはいたが、まるで縁遠い存在だった。
そして、デジタル化により、ステレオという家電製品はリビングからあっという間に消え去った。ウォークマンも、MDプレイヤーも、iPodもそしてスマホもずっと音楽を持ち歩くことのできる、魔法の小箱だった。
ところが、最近出会った私と同じ世代の方が、ハイエンドオーディオのマニアだった。高輪のマンションに招かれレコードを聴く会に参加させていただいた。初めてだった。この年齢になって初めてレコードの音を聴いたような気がした。1960年台にマイクで録音されたレコードから聴こえてくる音には、呼吸する音や気配がすぐそこに感じられる。音を出している人の魂が感じられることを初めて感じた。それはJBLのハイエンドスピーカー「エベレスト」を真空管アンプで鳴らす最高級のシステムだった。
最近のCDではここまでは出せない音域も充分に出ているということが私にも感じられる音だった。ハイレゾが人気になりつつあるが、半生記も前に録音されたレコードはそれ以上のライブ感がある。
1970年台半ば以降、ちょうど私がステレオを買って音楽を聴き始めた頃以降に録音されたレコードは、多重録音であるため、一発録りのライブ感はなく、さらに録音技術が進んだ80年台以降はミックスされた音楽になり、その後はデジタルに寄って加工処理された音楽へと変わってしまった。だからこそ、今、若い世代の人にも、半世紀前のライブ感溢れるレコードのサウンドを聴いて欲しいとも感じた。目の前で今は亡きミュージシャンたちが演奏している、その気配まで充分感じられる。
この歳になり、初めて知り得た貴重な体験だった。