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歴史に残る9月になるのか。

10月になった。
上半期が終わり、今年の9月は歴史に残るだろうか。
政権与党の強引な法案可決の傍若無人ぶりが。

安全保障体制の見直しや必要性は間違いなくあると思う。
しかし、だからと言って、急ぎすぎて、強引に決めてしまう過程に対して批判がある。それが何でも反対のような声になってしまうのも、日本の政治の歴史の浅さ、国民の未熟さなのかもしれない。
本質的には法案の中身にこそ、まだまだ議論の余地がある。
一番は憲法違反の議論だが、憲法を守り続ける姿勢も大切だが、見直す柔軟性もあってもいいと思う。
そこの議論をもっとていねいにやって欲しい。
憲法学者でもそのくらいの時代性はあると思う。

それと、ネットやデモになると「ひと言」に集約される怖さがある。
「戦争法案」という言葉がそれだ。
これではまるで戦争をするための法案になってしまう。
しかし、まさか、本気でそんな意図で自民党もやっているとは思えないし(いやもしかしたらそうなのかもしれないが)、簡略化されすぎてしまう表現ももっと慎重にすべきだと思う。
それは我々もそうだし、メディアも、発言する人もだ。

それは、誰でも戦争には行きたくない。
自分の子供達を戦争には行かせたくない。
でも、国民主権を強く主張するなら、国民自らが国を守るべきということにはならないだろうか。
そうすれば、我々自身も国を守るために行動をすべきだ。
自衛隊に誰が入隊するのか?と考えてみよう。
自分たちは戦争には行きたくない。それでは、自衛隊にお願いするしかない。
でも、彼らだって戦争を想定して入隊しているわけではないから、それは反対だ。
たしかにそうだが、自衛隊は国防軍なのかどうかという本当の議論は、なかなかなされない。
自衛隊に属する人の生の声もチラホラ見かけるが、果たして本当はどうなのか。

ただ、なぜここまで急ぐのか。
結論ありきという安倍さんの姿勢も好きにはなれない。もっとていねいにことを進めるべきだろう。
これではまるでガキ大将が強引に遊びのルールをいきなり変えるぞというのと同じだ。
なぜここまで強引なのか。その裏にはどんな事情があるのか。
おそらく緊急を要する必然性があるのだろうと思うが、そうあって欲しいのだが、であればその説明はいらないのか。

北朝鮮の拉致家族交渉も難航しているようだ。
詳しくは知らされていないが、アジアの情勢となれば、中国だけでなく北朝鮮の動きもあることだろう。キム・ジョンウィルが最近肥満で太りすぎて、いつ心臓発作があるか分からない、そんなリポートもアメリカから出ていた。アメリカの言うことになびく日本だから、このアタリのことが背景にあるのだろうか。キムが死ねば軍部のクーデターが起きて、軍政権になると何が起きるかわからない危険性が高まっている。そうなると日本も独自に国を守らなくてはならないし、独自では守り切れないことも分かっているので、世界最大軍備をほこるアメリカとの協調が必要なのだろう。

この法案成立がどうだったのかは歴史のみぞ知るということで、あと半世紀もすれば、その結論は出ているのだろうが。

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