建国記念日に考える憲法改正のこと。
建国記念日ということで、今日は憲法改正について私自身がもっとも近い考え方を朝日新聞に寄稿した作家の島田雅彦氏の原稿をもとに、要点を分かりやすくまとめてみた。
優しい日本人のイメージは現行憲法によってもたらされた。
外国人が日本人に対して抱く好印象は、平和主義を貫いてきたことに由来するだろう。
「優しい日本人」のイメージはおそらく、現行憲法によってもたらされたに違いない。
改憲して「世界の警察」の片棒を担ぐようなことをすれば、戦後日本が積み上げてきた信用は全て失われる。
戦後の三大矛盾。
「憲法」、「日米安保」、「自衛隊」は戦後の三大矛盾と見なされてきた。
歴代政権は驚くような憲法解釈を行うことで自衛隊を派遣したり、集団的自衛権の行使を可能と判断したり、その矛盾をさらに拡大させてきた。
自民党は憲法を改正することで矛盾解消をしようとしているが、自民党による改正案も改正理由の説明も、さらに「戦後レジームからの脱却」という政治方針も全て支離滅裂である。
改憲の理由として自民党が掲げているのは、「現行憲法は連合国軍の占領下で同司令部に押しつけられたものであり、国民の自由な意思が反映されていない」という主張だ。
この押しつけ論が出てきたのは、自衛隊が発足し、アメリカが日本を極東における反共防波堤に仕立てるべく再軍備をさせるようになった頃、つまり1954年あたりからだ。自衛隊と憲法の矛盾はアメリカの政策転換に起因するのである。
現行憲法が押し付けと出張し、日米安保は頑なに守る現政権。
それに先立って、1951年、日米は旧安保条約を締結するが、アメリカが出した条件は、日本の独立後も占領期と同様に「米軍に基地を提供させ続けるが、米軍は日本防衛の義務はない」とするものだった。
この不平等を是正するために、再軍備をした日本は周辺有事の際は集団的自衛権を行使して、アメリカを守るという提案を1955年にしたことがある。その交換条件として米軍の撤退を要求する構想もあった。
日本が集団的自衛権の行使を主張するのは60年ぶりというわけだが、現政権の頭には「米軍撤退」の4文字などなく、日米同盟の強化しか考えていない。自民党が沖縄に冷淡な理由もここにある。現行憲法を押しつけだからといって改めようとするくせに、同じ押しつけである日米安保条約は頑(かたく)なに守ろうとする。ほとんど日米安保を憲法の上位に置こうとする政治方針と映る。
天皇制を残すことの交換条件だった戦争放棄規定。
対米従属派が嫌う憲法9条の戦争放棄規定は、元はといえば、昭和天皇の戦争責任を問わず、天皇制を残すことの交換条件だった。日本での軍国主義の台頭を防ぐ規定をつけることは占領時代にあっては最優先の案件だったし、国民の平和への希求とも呼応していた。
現天皇が折々に護憲と平和への希求を明らかにされるのは、この事情も踏まえておられるからだろう。護憲と平和主義は吉田茂の「軽武装、経済重視」の路線とともに「戦後レジーム」になったわけだが、そこから脱却しようとすれば、戦前に回帰するしかない。
戦前回帰の自民党の憲法改正案。
まず自衛隊を「国防軍」と呼び、「主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し」と改正9条に記しているが、自民党が作った有事法制でも、「国民が国の安全保障に協力する責務」を明記しているので、戦時中と同様に有事の際は国民も「動員」されることになる。
また現行憲法にはない緊急事態についての条文を加え、内閣が法律と同一の効力を有する政令を制定できるようにし、緊急事態時に国家総動員体制を取りやすくしている。
ほかにも人権規定において、現行憲法で「公共の福祉」とある部分を「公益及び公の秩序」に置き換えて、それに反する自由と権利を制限している。
しかも「公益及び公の秩序」の定義は政府が勝手に決められるというのだから、改正案は国民主権を謳(うた)いながらも、思いきり国家主権的である。
国民を最優先するように見せかけながら、ナショナリストたちが国家を私物化することを奨励するようなものだ。国民を国家の暴力から守る憲法から、国民を戦争に駆り出せる憲法へ。これは明らかに「憲法改悪」である。
戦争放棄の原則に回帰できる現憲法。
憲法には政治的な横暴、権力の濫用(らんよう)、人権の侵害から国民を守ることが謳われているが、それは我が国が他国から信用されるに足る国家であることの宣言なのであり、暴力の連鎖を断ち切る誓いでもあるのだ。そして、何よりも他国の戦争に巻き込まれないための保険として、機能してきた。
憲法が戦争放棄を謳っている限り、自衛隊の海外派兵や米軍の後方支援に踏み切ること自体が違憲である。だからこそ政権の暴走は抑止されているのだ。政権の暴走にお墨付きを与えるような改憲は日本の自殺行為に等しい。
過去にアメリカから、集団的自衛権を行使し、ベトナム戦争に参戦せよと求められても、断ることができたし、湾岸戦争でも巨額の軍事援助はしたものの、かろうじて武力行使や兵器の輸出を免れることができたのだった。9条を維持しさえすれば、いつでも戦争放棄の原則に回帰できるし、中立主義や日米同盟の再考、多国間安全保障の構築など政治的選択の幅を広げられるのだ。
尖閣をアメリカは守らないだろう。
アメリカがアジア太平洋地域で大規模な軍事作戦を展開する可能性は非常に低い。領土問題で中立の立場を取っていることもあり、尖閣有事の際も米軍を出動させないかもしれない。アメリカが強硬姿勢で中国に敵対するならば、財政破綻(はたん)や世界恐慌の引き金になりかねないし、冷戦時代のように互いの中枢に核兵器を突きつけ合うようなことはしないだろうからだ。
アメリカと中国が世界経済の安定確保を最優先し、軍事衝突などを極力避け、常に緊張緩和に向けた努力をすれば、日米同盟を強化する必要はなくなり、安全保障の新秩序を構築することになるだろう。アメリカは軍事的、政治的プレゼンスを意図的に後退させ、地域のことは地域に任せるが、中国と周辺国が対立した際に、仲裁役としての役割を果たすにとどまる。いずれにせよ、日本がアジア太平洋地域で軍事的に勝利を収める可能性はほとんどないのだ。
戦争は原発にも似て、莫大(ばくだい)な負の遺産を後世に残す。好戦的な政治家たちは戦争責任など取る気はさらさらなく、自分たちを支持した国民が悪いと開き直るだろう。彼らが自殺行為に走るのを止めなければ、私たちだって自殺幇助(ほうじょ)の罪をかぶることになるのだ。
現行憲法は単にユートピア的理想を謳ったものでも、時代の要請に応えられなくなった過去の遺物でもなく、日本が歩むべき未来に即した極めて現実的な指針たり得ている。
以上、朝日新聞に掲載された島田雅彦氏の寄稿文を抜粋転載させていただきました。