トレースの旅。学生時代に最初に住んだ東池袋のアパートへ。
東池袋に行く用事があったので、学生になって初めて暮らしたアパートを探してみた。
何と、まだアパートの建物は残されていた。
高校を卒業してすぐに上京した時は、早稲田アカデミーで浪人下宿を紹介してもらい、そこに1年間暮らした。早稲田の町にあり、大隈講堂に隣接する早稲田アカデミーまで徒歩3分くらいの、まさに浪人下宿。
大学に入るまで女のコとは口をきかないようにしようと誓い、田舎にも帰らず必死で受験勉強をした。今思えば、あの1年で勉強したことがどれほどのことだったのか、あまり自信はないが、それでも「早稲田に入る」という夢は叶った。
早稲田に入れたら浪人下宿は出なければならない。そこで最初に暮らしたのが東池袋のアパート。すぐ近くに叔父さんが住んでいたので、よく晩ご飯をごちそうになっていた。日当たりの悪い、暗くて寒いアパートは1年で引き払い、新井薬師前のアパートへ移った。早稲田の学生は西武線に多く住んでいたので、高田馬場から3つ目の駅へと引っ越した。それまでの1年間はこの東池袋の文房具屋さんの2階に部屋を借りて暮らした。
憧れの学生生活が始まった。その拠点となったのが、このアパートだった。当時の東池袋はまだ危ないようなお店が多く、呼び込みや風俗のお店もあった。また今はゴミ焼却場になっているところにはアイススケート場があり、深夜のスケート大会などのも行われていた。都電の向原駅までも近いので、都電で早稲田に通うこともできた。が、西池袋には立教大学があったが、東池袋は学生の住む町ではなく、文化よりも危ない町の印象が強かった。
東池袋といえばサンシャイン60。当時はまだなく、巣鴨プリズンの広大な敷地がガランとしていたことは何となく覚えている。サンシャインお完成で街の風景は激変し、私が暮らしていたアパートの周辺も様変わりしており、なかなかたどり着くことができなかったが、文房具屋さんの建物がひっそりと取り残されたように建っているのには正直驚いた。すぐ目の前には小学校があったが、そこには立派な校舎の大学があり、子どもたちの声はなかった。
学生生活スタートの原点に立ち戻り、もう一度これからの人生を考えてみる。そんなひと時だった。