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勝浦マリブポイントへ、サーフトリップ

サーフィンを始めて、ずっと千葉へ行ってみたいと思っていた。
一人で行くほどの勇気もないので、なかなか行く機会がないまま半年が過ぎた頃、SUPをやっている友人が勝浦に行こうと誘ってくれ、5月の連休の時に、初めて御宿と勝浦マリブというポイントに入った。マリブという名前の通り、カリフォルニアにあるポイントと同じ名前で、アメリカのマリブに似た波が来るということで、昔からマリブと呼ばれているらしい。そこにマリブポイントというショップがあり、SUPやサーフィンのスクールをやっていて、結構賑わっている人気店だった。その帰り、すぐ近くの串浜漁港にある「カクイ」という漁師飯のお店でアジフライ定食を食べた。その時は、そのくらいのことしか知らなかった。

帰ってからそのことをMr. Georgeに話すと、「部原(へばら)」に行ったのか?と聞かれ、そのポイントのことは知らないと言ったら、サーファーズジャーナルのバックナンバーを見せてくれた。22.1号・日本版3.1号(2013年4月発売号)と26.4号・日本版7.4号(2017年10月発売号)だった。22.1号では、1964年の東京オリンピックの年に広島出身の日系3世、タック・カワハラが羽田に降り立ち、その後勝浦のこの地で本格的に日本製のサーフボードを作り始めたというストーリーだった。彼がホームにしていたカリフォルニアのマリブビーチにちなんでマリブサーフボードというブランド名にした。そのマリブの名前を冠したショップがまさに訪れたマリブポイントだった。訪れた時にオーナーの高梨さんはスクールで沖に出ていたので、詳しいお話は聞くことができなかったが、奥さんによると現在のご主人のお父様がこの時代のマリブをやっていたとのこと。つい最近、このマリブポイントも新店舗に改装し、宿泊もできる素敵なショップとして頑張っている。

もう一つ、26.4号で紹介されている、3人のアミーゴという記事。ミッちゃん、ヨッちゃん、そして成尾の3人がマリブポイントのすぐ近くにある「カクイ」という旅館食堂をたまり場にしていたストーリー。彼らはマリブポイントのちょっと南に降りた松部というポイントをホームにしていて、鴨川、鵜原や部原、マリブから一宮までの千葉エリアのサーフィンの歴史そのものを形作っていた本人たちのストーリーだ。驚いたのは、初めて千葉へ行った時に立ち寄った食堂がこの「カクイ」だったという偶然。そして、もっと驚いたのが、改めてマリブポイントを訪れた際に、当然カクイに寄ってランチを食べている時になんとそのアミーゴの中の一人、成尾さんが現れた。


ご挨拶をすると、そのミッちゃんがちょうど1年前に亡くなり、お盆なのでお墓参りに来たとのこと。その当時、カクイのお袋さんは何でも許してくれたことや、松部のポイントのこと、そんな懐かしいお話しをしてれた。私を勝浦に連れて行ってくれたSUPの友人も、成尾さんがお台場でやっているウィンドサーフィンのショップで何度もお会いしていたり、彼女のホーム、江ノ島東浜の腰越にあるタカスライドのタカさんとの交流も深く、サーフィンを通じてまったく初めて会った者同士が時空を超えて話が盛り上がるという奇跡のようなひと時だった。

人生、何が面白いかって、いくつになっても新しいことを知ることは楽しい。ましてや遊びと体力づくりのつもりで始めたサーフィンの、日本の黎明期のことを今、この目で見ることができたり、その当時の友だちができるとは、なんて素敵な出会いなんだろうと思う。歳をとるにつれてなかなかこちらからご挨拶をして友だちになるのも面倒くさかったり、変なプライドが邪魔したりするけど、この1年サーフィンを通じて多くの友人ができたことは、本当に楽しい。ご飯を食べに行くことはまだできない日々だけどね。

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