Out of Tokyo

養蚕農家の次男坊としては、何とも複雑な。

ネットとかで話題になっているのは知っていたけど、実際に見たのは初めて。
群馬県のお土産品として話題のお蚕のチョコレート。桑の葉エキス配合ということを謳っているけど、3個入りで800円余。
田舎に帰省していたら、妹がおみやげにと買ってきて、家族みんなで話題に。
さすがに誰も口にはしなかったけどね。

子供の頃、年に3〜4回はお蚕さんを飼っていた。春蚕(はるご)、夏蚕(なつご)、秋蚕(あきご)と呼んでいた。
さん付けで呼んでいたのも、それだけ貴重な収入源だったからに他ならない。
深夜になると2階にいるお蚕さんが桑の葉を食べる音が、まるで雨が降っているようにザーザーとずっと音がするのを聴きながら、いつも勉強をしていた。繭を作り始める前には、おしっこをしてから糸を吐き出すので、そのおしっこの音までよく聞こえた。

雨の日も朝早くから桑の木畑に合羽を来て出かけて、桑の葉を収穫し、乾かしてからお蚕さんにあげる。昼にも夕方にもその繰り返し。病気にならないように温度管理にも気をつけ、無事に繭を作り始めるのを待つ。繭になれば、その繭をかいて集め、出荷する。出荷できない不良の繭(二子とか)は自家用で生糸を紡ぐ。それはおばあちゃんの仕事だった。繭を煮る臭いが臭くて、繭の中から出てくる蛹(さなぎ)も臭くて、釣りの餌になんかにも使っていた。

そうやって出荷した繭は生糸になり、富岡製糸工場、高崎から八王子を経て横濱からヨーロッパへと輸出されていた。
そんな彼らのおかげで私は東京の大学まで進学することができたので、お蚕さんには感謝しかない。のに、こんな姿になってしまい、何と言えばいいのか。

2 thoughts on “養蚕農家の次男坊としては、何とも複雑な。

  1. これはこちらでも賛否両論です。^^

    長野原の妻の実家では、やはり同じく養蚕をしていたようで、同じような話しを聞いたことがあります。
    私の家はサラリーマン家庭でしたが、それでも小学校の頃までは、家の周りは桑畑だらけ。
    地図・地理好きだった私は、小学校の頃の地図帳の群馬の耕地がほとんど桑畑の色で示され、全国的にも珍しかったことをよく覚えております。
    今では桑畑を全く見ることがありませんが、市内に「マルベリー ハイツ」なんていうアパートがあったりして、「昔はきっと桑畑だったんだろうなぁ」などと想像しています。
    あとはやはり〝ドドメ〟でしょうか。^^
    今でもジャムやケーキに使えば、とってもおいしいベリーの一種ですが、改めて考えてみると、どうやって栽培しているのでしょう。
    (葉っぱが主役のはずだったのに….)

    1. 私の実家でも残った大きな桑の木に毎年ドドメがたくさんなります。それを拾うのがおふくろの仕事で、四万温泉の旅館が引き取ってくれるので、貴重な現金収入源になっているようです。子供の頃は学校の帰りにドドメを食べて、口の周りを紫色に染めていました。

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