枝豆の季節、想い出すのは「これが肉なの?」。
今朝、サッカーのコロンビア戦を見ていた頃は雨が降っていました。
その後やんだので、世田谷農園の畑に行き、枝豆を収穫して、すぐに茹でていただく。
美味しいんですね、これが。
当たり前のことですが、収穫してすぐは新鮮なので美味しい。
改めてそんなことに気がつくのですが、小雨の中で枝豆を収穫していると、幼い頃、実家で収穫のお手伝いをしていた頃のことを思い出します。
小学生か中学生の頃、実家では枝豆をたくさん栽培して、出荷していました。
畑から収穫して枝からもいで、ネットの袋に詰めてヘッダーをホチキスで止めて、ダンボール箱に詰めて、それをオヤジがクルマで農協に出荷する。その作業を毎日行っていました。
雨の中でもほっとくわけにはいかないので、収穫します。雨で濡れたり土で汚れたりした枝豆はどうしたのか、記憶にはありませんが、とにかく家の中が枝豆だらけでした。枝豆は食べるものというより、出荷するもの。お金になるものでした。
小さいころ、私は身体が細く、母親も心配していました。よく「畑の肉だから」と豆料理を食べさせてくれました。枝豆ではなく、大豆を昆布出汁と醤油で煮込んだもので、とてもシンプルな豆でした。「えっ?これが肉なの?」と思いながら、あまり進まずほとんど食べることもありませんでした。中学校に上がり、部活でバスケを始めた頃から、とにかくお腹が空くようになり、ご飯を食べる時にこの大豆煮を暖かいご飯の上にかけて食べると、大豆よりも醤油かけのようなご飯が美味しく、以来大豆もよく食べるようになりました。当然のことながら「これは肉ではないよね。本当の肉も食べたいよね。」と思いながら。
おかげで、畑の肉で育った私の肉体は、細いけれども今でも元気に生きています。これも母親の愛情のおかげなのだろうと、今朝、枝豆を収穫しながら思いました。そして「これは豆だよ、肉じゃないよ」と午後、娘に届けてあげました。