Tokyo Nice

私が、またテニスを始めたわけ。

20代半ば、社会人になりたての頃は、まだ学生気分でテニスを少しだけやっていた。
当時の会社が高輪にあったので、品川プリンスホテルのテニス場へナイターで週に何度か行っていた。
その頃のテニス仲間にはプロを目指している先輩もいたり、憧れのギョーカイの先輩もいたり、いろいろな人がいた。
その中にクルーカットにメガネをしたやや小太り気味のお兄さんもいた。その人はいつもオシャレなウェアを着ていた。それが「NOBU」だった。その頃、渋谷公園通りの塩とタバコの博物館(最近閉館しちゃった)の路地を入ったところにテニスショップを出したばかりで、オリジナルのテニスウェアを作って販売していたので、私も「NOBU」のロゴの入ったトレーナーやTシャツをいつも着ていた。

先月、渋谷にある事務所から青山通りへ裏通りを歩いていると、小さなテニスショップが目に入った。なんとそこには「NOBU」のロゴが。
もちろん店内に入ったら、あのちょっと小太り気味のクルーカットにメガネのノブさんがいた。
「公園通りにお店を出してから35年」と言っていたので、30余年ぶりの再開にびっくりした。
お店には相変わらずアメリカンテイストのデザインのウェアが並んでいる。もちろんあの「Tennis Boy」のロゴの入ったパーカーもあった。

さらにビックリしたのは、ノブさんの自宅が世田谷のご近所さんだった。ノブさんは毎日世田谷から渋谷のショップまで自転車でチャリ通をしているという。私も何度かチャリ通をしようと思い立ったことがあるけど、「危険だからやめて」とクルマ仲間に言われていたので、なかなか踏ん切れないでいた。ノブさんのサイクルルートを聞いたら、なるほどそれなら危険は少ないね、という裏ルートだった。なので、次の目標はチャリ通。世田谷から渋谷まで毎日10キロを自転車でエコ通勤にしようと思っている。

で、ノブさんと昔の仲間の話題からテニスの話までしているうちに、「もっと運動をしないと、筋肉も体力ももう少し付けないと」、「最近ゴルフもまともにショットできないのは、きっと体幹が軟弱でスイングがブレブレなんだろうな」、「スキーでもう少しエッジを効かせてターンしたいな」そんな思いがずっとあったこともあり、だったらテニスを再開しようかという気持ちが確信へと代わって、世田谷の近所にあるテニスクラブの体験教室へ行き、NOBUでパーカーを買い、テニスを始めた。

時代は大きく変わっているけど、変わらない仲間もいることはどれだけ幸せな気持ちにさせてくれるか、そんなことでテニスを始めたけど、スクールに通い始めて3回目で肉離れを起こした。たまたまこの日、ノブさんのお店に寄って「今が一番ケガをしやすい季節なんだ。涼しくなってきたから、汗が出ないので、まだ行けると勘違いをしちゃう。そうすると、体力以上に踏み出しちゃうので、ケガをするから気をつけな」って言われたばかりだった。脳が記憶しているんだよね、大きな玉が来たら、こうステップすればいいんだって。でも、筋力がないので、オーバーワークになっちゃう。分かっているけど、止められない記憶によるケガ。
早く治して、またテニスをしたい。

そう言えば、あの頃のテニス仲間の中にカメラマンがいた。小平尚典氏。創刊間もない写真週刊誌「FORCUS」の契約カメラマンとして活躍していた。その後、1985年の夏、日航ジャンボ機123便の事故現場にいち早く駆けつけ、その様子を記録した。1991年に1冊の写真集「1/524」を出した。当時、小平さんからいただいたその写真集は後にアメリカの大きな博物館に収蔵されたと聞いた。NOBUさんに聞くと「彼とはまだ付き合っているよ」というので、近いうちに会いたい。

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